#04:
殺—風景
風景の発見とともに、風景は殺された。
記号の浮遊する平面の下には、動物的身体と社会的身体という、二つの構造契機を抱えた身体性のうちで語る人間存在がある。風景とは、それぞれ固有の時間・空間を持った自然、社会、個人の3つの水準の下、我々の持つ情状性と象徴性、そして環境の持つ物質性の通態において現れるものである。
風景についての知を進めてきた近代が、実は風景を破壊している。花は、その植物一個体の生においては、ただ一瞬の姿である。しかし、カメラの前には、その一瞬の「できごと」のみが有意味で、その他は無意味となってしまう。「何もない」とはその象徴である。
その「もの」自体との対話を通じて、我々には何が現れるのか。それは宇宙である。
犬塚 悠
東京大学大学院学際情報学府 文化・人間情報学コース 修士1年 佐倉統研究室所属
竹田青嗣に現象学を学び、シンガポールでマングローブの研究をする。和辻哲郎の「風土」・オギュスタン・ベルクの「風土論」を基盤に、「バイオ風景論」を展開。